気が付けばここが第二のふるさとに

堤 耕作さん
前住所 福岡県
取材年月日 2019(平成31)年3月1日


▼ 受け継がれたものを守るため
堤さんは、広島県出身。妻の実家は岩国市周東町米川で代々続く農家。
堤さんの妻の他に跡を継ぐ人がおらず、受け継がれた家と田んぼを守るため、夫婦で周東町へ移住することになりました。

▼ 地域おこし協力隊に!?
移住すると決めて間もないころ、地域の人から「地域おこし協力隊にならないか」と言われました。
地域おこし協力隊とは、都市部の人を受け入れ、地域の人と一緒に町の活性化を目指す制度。
当初、妻の実家と田んぼを守るために移住する堤さん。初めは迷いました。
でも、「地域のために自分にできることが何かあるなら」と、同じ町内、川越地区の地域おこし協力隊になることを決意。
早々に妻と2人で川越地区へ引っ越すことになりました。


▼ 大工仕事もお任せ!
しかし、地域おこし協力隊として何をしたらいいのかわからず、初めは戸惑うことが多かったそうです。
「考えてもしょうがない。とにかく目についたことから始めよう!」と、土や落ち葉が溜まった公民館の側溝の掃除や朽ちたイスを直したりと、小さなことからコツコツと活動を始めました。
それから3年を振り返ってみて、一番思い出に残っているのは、名所「蛇漬淵(じゃづけぶち)」の看板作りです。
地域の事を知るうちに、素晴らしい名所がたくさんあるのに、案内看板が一つもないことに気が付いた堤さんは「よし!川越を訪れる人のために、魅力を伝える看板を作ろう!」と、決意しました。
まず、川越に住む大工さんに協力をお願いしました。木材の伐採から始まり、製材、カンナ掛け。
それは本格的な看板作りでした。「蛇漬淵」の言い伝えも川越の人と調べ、看板に丁寧に手書きしました。
制作日数は、なんと1年。「長かった…」とポツリ。こうして、みんなの知恵と想いが詰まった、大きな案内看板が完成しました。
「蛇漬淵」に看板ができたとき、それを見上げたみんなの笑顔は今でも忘れられません。
そしてその時、川越の一員になれた気がしたといいます。


▼ 普通に暮らす
平成31年3月末で、地域おこし協力隊の任期を終えます。「ありがとう」「よくがんばったね」と、たくさんの人からあたたかい声をかけられました。
時には厳しいことを言われ、意見がぶつかることもあったといいます。でもそれは、それぞれが地域のことを真剣に考えていたから。ここが第二のふるさとになった今、その思いがよくわかります。
そして3年間、小さなまちで過ごして分かったこと。「特別なことをしなくてもいい、地域の人と一緒に普通に暮らすこと」。それが田舎暮らしでは一番大切なことなんだと話してくれました。

▼ やっぱり寂しい…
これから、妻の実家のある周東町米川へ引っ越し、農業を始めます。
初めに地域おこし協力隊になることを迷ったのは、「きっと川越のまちも人も好きになって、離れるのが寂しくなるから」。
離れるとなるとやっぱり寂しい。だから、農業をやりながら、川越地区のスクールバスのドライバーをする事にしました。
「半農、半ドライバーです。大変かなー」と笑う堤さんはどこか嬉しそうです。
住む場所が変わっても、川越地区の人たちとの絆は、これからも変わることはないでしょう。

堤さんが3年間過ごして、大好きになった川越。ぜひ一度、手作りの案内看板を頼りに、川越の魅力を感じてみてませんか?

関連情報