美川の人たちに支えられて25年

郡司掛(ぐんじがけ)信也さん、久恵さん
前住所 福岡県北九州市
取材年月日 2025(令和7)年2月4日


■ 田舎暮らしもいいかも!

▲美川の家具工房

郡司掛信也さんと久恵さんは、福岡県北九州市の出身。たまたま読んでいた田舎暮らしの雑誌に美川の木工家具製作会社の求人募集を見つけて、応募したのはかれこれ25年程前のこと。「いつの間にか25年経っていました」と信也さんは笑います。
木工の仕事がしたくて移住を?と聞いてみると、意外な答え。
「木工は別に…。ただ漠然と田舎暮らしもいいかなと。あまり難しく考えていなかったんですよね」。

■ ポジティブな奥様と一緒に

移住を決めた当時、信也さんは34歳。既に同い歳の久恵さんと結婚していて、お子さんが二人。6歳の男の子と生まれたばかりの女の子がいました。
新しい土地、しかも田舎での子育てに不安がなかったのかと、久恵さんに尋ねると、「どこへ行っても楽しめるタイプなんです」と朗らかに笑います。
「母からは『あんな田舎でよくやってるね』なんて言われますけど、星がきれいだし水も美味しいし。ここが好きなんですよね」。
ご夫妻はたまに広島に出かけたり、北九州に帰ったりして、街の空気も吸うのだとか。「田舎も都会も好き!」。まさしくどこでも順応できる前向きなご夫妻です。

■ 美川での子育てを振り返って

そんなご夫妻の息子さんはというと、環境に慣れるのに時間がかかるタイプだったよう。
「街に暮らしていたときから幼稚園に行くのを嫌がっていました。ここに来ても、最初は学校に行く途中で帰ってきたりして。でもその内、学校のみんなが家まで迎えに来てくれたりして、すごく助かりました」と信也さん。
北九州市から移住してきた郡司掛さん一家を、美川の人たちは温かく迎えてくれました。夏には息子さんの同級生たちと川で泳いだり、カヌーで錦帯橋まで錦川を下ったこともあります。冬にはスキーにも出かけました。みんなが家に泊まりに来てワイワイやったことも、信也さんにとってもいい思い出なのだとか。

■ 工房の後継者になって

▲工房にはたくさんの県内産木材

最初は数人いた同僚たちが会社を辞めていくなか、信也さんは仕事に打ち込み、8年程前には、先代から経営を引き継ぎました。
「専門の学校には行ってなかったことで逆に、ここのやり方に馴染めたんでしょうね」と信也さん。やがて息子さんの学費にお金がかかる時期にさしかかると、経営者としての手腕を発揮し始めます。

▲家具の販売コーナー

「前よりもっと商品に手をかけるようにして、それに見合う値段で売るようにしました。山口県の木を使ってオーダーメイドで家具を作る所は、県内にはほとんどありませんからね」。

▲子どもの木工教室

木工教室も開催しています。「子どもにモノを作る楽しさを味わってほしい」というのが信也さんの想い。
「思い通りにならなくて泣いていた子が、ちょっと一緒にやってできるようになるとニコニコ笑顔になる。それを見て良かったなって、嬉しくなるんです」。

■ 地域の人が集う場所

▲家具の販売所、カフェも併設し、地域の憩いの場になっている

家具の工房にはリピーターさんが多く、米軍基地がある岩国の土地柄、アメリカ人のお客も多いそうです。毎週来ては、信也さんの指導のもとで家具を作っていく人もいるとか。
久恵さんが切り盛りする家具の販売所やカフェも、地元のリピート客でにぎわいます。カフェはさながら地域の憩いの場。休みの日でも店の灯りがついていれば、お客さんがやってくることもあります。毎日来る近所の人もいて、いろんなことを教えたり教えられたりの相互関係を楽しんでいるそうです。

■ 美川の人の温かさと優しさ

信也さんは現在58歳。思い起こせばいろいろありました。特に17年前には、台風による水害にも見舞われました。
「息子が6年生のときでした。1週間も電気が使えなくて大変でした。でも、たくさんの人たちが助けてくれたから、こうして永く住み続けることができたんだと思います」と信也さん。
今ではすっかり地域に溶け込んでいる郡司掛さんご夫妻。地域の人たちも郡司掛さんが移住してきたことさえ、忘れているくらいなのだとか。
温かな人柄のお二人はもはや、地域の輪の中心になっていました。