広島市から錦町宇佐へIターンした夫婦

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今井逹志さん、友子さん
前住所 広島市


▼ 生い立ち
夫の逹志さんは、新潟県長岡市出身。
7人兄弟の6番目。電機メーカーに就職すると、最初の勤務地・東京で妻の友子さんと出会い、結婚しました。
友子さんは千葉県出身です。
imai-view▼ 移住のきっかけ
二人は転勤で広島市へ移住すると、逹志さんは営業マンとして忙しい日々。友子さんも3人娘を育てるなど、忙しかったそうです。
やがて子育てもひと段落した50歳代。友子さんは友人に誘われて市民菜園へ。そこで初めて野菜作りを体験します。仕事ばかりで忙しかった逹志さんも菜園へ行くようになって、定年退職後は田舎で野菜作りができたらと、考えるようになりました。
「週末だけ、畑仕事ができる場所が欲しかっただけなんですよ。最初はね」と逹志さん。ところが、今ではコンビニもないこの山間の里に暮らしています。

▼ なぜ、錦町宇佐?
友子さんは川と山が好き。色々と土地を探したが、なかなかピンとくる場所には出会えなかった。とうとう、広島市から1時間20分かかる山口県の山間までやってきたのでした。
そしてこの家を見たとき、ピンときました。川もあれば山もあるし、畑もあれば泊まる家まである。土地をみた1週間後にはご購入。なんと、土地の人とは誰にも会わずに決めたのでした。

imai-sub1▼ ここに来て良かったこと、困ったこと
広島市の家に暮らし、週末だけここに来て畑作りをするつもりだったそうですが、いつからか、どっぷり宇佐に暮らすようになっていました。なぜかというと、「宇佐の人たちとの交流がとても心地よかったから」。
地域に暮らすのはお年寄りばかり100人強。しかし、家が壊れれば、心得のある人がやってきて直してくれる。電気の調子が悪いと、得意な人がやってくる。誰かが亡くなったとなれば、地域の人が総出で手伝って、葬儀社の仕事は棺桶の用意くらい。そんな助け合いの暮らしが、都会から来た二人には驚きでした。そして、とても心地よかったそうです。
それと、お年寄りたちの気ままで自然なライフスタイルや心のあり方にも惹かれたとか。「わしはいつ死んでもええんよ」とみんなが口をそろえて微笑んでいる。そんなお年寄りに触れていると、やがて訪れるだろう死への不安や恐怖が消えていったといいます。
さて、困ったことはないかと言えば嘘になります。たまには広島市に住む友人にも会いたい。だから、月に一度程度は広島の家に戻り、遊んでくるとか。1時間を超えるドライブも苦にならないようです。
移住から10年がたち、今や今井さん夫婦は地域のお年寄りのなかでは、若手です。だんだんと体の自由が利かなくなったお年寄りを、今度は今井さんたちがお世話をする番。困りごとがあれば、今井さんの携帯電話が鳴ります。今井さんはこれに喜んで応えます。地域で必要とされていることは、今井さんにとっての生きがいにもなっているようです。

imai-wasabi▼ これからの地域
死に対する不安も恐怖もなくなった今井さん夫婦ですが、宇佐地域の過疎・高齢化の進展には、不安を隠せません。
「どんなに地域活性化の予算がついても、それを使う人がいないんじゃあ、どうにもならない」。
今井さんは、この地域で共に暮らす人を求めています。「若い人でなくてもいいんです。私たちのように定年になった人が、ここでのんびり暮らしてくれたら・・・。一緒に地域のお世話ができるといいですね」。
今井さん夫婦はとても気さくな方です。訪ねてみてはいかがでしょう。

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